14日目 オナ禁エロ禁に見出す価値
オナ禁14日目。
思いのほか楽。
やっぱエロ禁してると楽やわ~。
オナ禁のキツさの8割は最初の1週間だなとつくづく思う。
精子の量=どっしり感
精子が溜まってくると、玉袋がどっしりとしてくるが、そういう話ではない。
態度というか気持ち的な部分でどっしりとしてくる。
マジで動じなくなる。
何ていうんだろな、キョロ充の正反対みたくなる感じかな?
周りの目とかマジで気にならなくなる。堂々としていられる。
生物としてちょっと強くなったような錯覚におちいる。
実際に強くなっているかどうかは重要じゃなく、弱い犬ほどよく吠えるようにキャンキャン言わなくなる感じ。
ぷるぷるキャンキャンのチワワとどっしり構えたシベリアンハスキーの差だ。
すべて感覚的なものなので、表現がフワッとしているが、これは実感している人には伝わると思う。
ほんのすこしの差
「オナニーしてない&エロ見てない」ってだけで、これほどの違いが出るんだ。
そして、俺はそれを数ヶ月前に実感していて、その後オナ猿に退化したことにより失い、今現在再認識している。
新鮮さ衝撃は最初ほどではないが、一旦失って再び取り戻した感覚だからこそ、自分の中に沁み入る印象は倍以上に強い。
「オナニー&エロ見る」:「オナ禁&エロ禁」
行動としての差は大した差ではない。
けれども、両者の違いは雲泥の差がある。
オナニーしていようが、オナ禁していようが、他人には知る由のないプライベートな情報だけれど、結果が大きいため一見不平等に思えるほどの差を生む。
- 気持ちいいんだからやらなきゃ損
- 美味しいのに食べないなんて人生損してる
という近視眼的な価値観ではなし得ない。
なぜなら、近視眼的な価値観は目の前のインスタントな快楽に価値を見出してしまうから。
オナ猿も太りすぎのデブもインスタント快楽の中毒者だ。
オナ禁&エロ禁を実践する価値はコレだ
本来見出すべき価値は、「オナ禁&エロ禁を習慣にしたことによって得られるモノ」であり、「インスタントな快楽に流されない重要性を知る自分」なわけだ。
このブログを始めた当初のオナ禁の目的は、”セックスに不自由しないため”だった。
もちろんその目的は今も生き続けているけど、メインの目的というよりは結果的に得られるモノ、報酬として捉えている。
性欲は根源欲求だから、セックスのために頑張るというのは自然。
けれども、それを主目的とすると「セックス不足が必死の形相で頑張っている」状況になってしまい、セックス足りてない感が強化される。
これは人によるのかも知れないが、少なくとも自分はそうなってしまうと感じたので修正を加えた。
性欲丸出しのそぶりは絶対に女性の前で出さないようにしよう。「俺にとってセックスは重要じゃない」というオーラを纏った男性に女性は夢中になる。感情を揺さぶり、惹きつけ、興奮させ、女性の方が男性に夢中になり「やりたい!」と思わせ、それに仕方なしに応じるゲットこそ真に美しいギラの流れだ。
— 新宿ナンパ大戦争テクニック集 (@nanpawars) 2017年12月22日
これ。
せっかくオナ禁エロ禁で男らしさを高めたとしても、「セックスしたい」を主目的につっぱしってるんだから、そのむき出しの欲望を見せないようにするのは難しい。
真のギラの習得は至難の業であろうけど、性欲丸出しにしない重要性を理解するのは簡単。
あとはそれを阻害するものを1個1個どかして進んで、その結果の中の一つにセックスがある。
ってのが、最近のおれのスタンス!