オナ禁日記

オナ禁実践日記です。ありのまま書きます。

【45日目】シコシコ中の意識が闇を生む

45日目。

昨日はエロを見てしまったが、今日は見ない。

 

 

前回の記事では、刺激物の誘惑のこわさについて、

エロと甘い物が似ているという話を書きました。

 

今回はエロの刺激を掘り下げてみます。

 

エロの刺激からの流れ

エロ(刺激)見る→興奮→ボッキ→(???)→射精

 

エロを見て興奮しボッキするのは、男のオスとしての性質ですので基本的に抗えません。

ちんこの機能が低下してボッキしないってのはありますが、抗うためにはスタート地点である「エロを見る」にアプローチする必要があります。

それが、エロ禁であり真のオナ禁です。

 

エロ禁することで、刺激を受けないので平穏無事に過ごせますし、刺激を受けた時にその害悪がよーく分かるようになるので避けやすくなります。

一番取り組みやすく、最も効果的です。

 

なので、四の五の言わずにエロ禁してたらオナ禁も難易度下がって楽だよってことになります。

ただそれは、何度も書いていることです。

 

 

今回書きたいのは、ボッキと射精の間に潜む闇です。

 

ボッキと射精の間に潜む闇の正体

オナニー時、ボッキと射精の間に何があると思いますか?

そう、シコシコです。

 

そのシコシコ中の意識が闇を生むと考えています。

 

【顕在意識】この女優まじタイプ、やりてえなー(シコシコ)

【潜在意識】やりたいけどやれない、このモヤモヤ感を”抜いて”スッキリさせたいっ!

 

※抜く=性エネルギーを抜く=エネルギーが下がる=どうでもいいやとなる

疲れさせて、モヤモヤ感どうでもいいやという状態にしている。

 

オナニーによるスッキリ感は「その現実からの逃避行」なんです。

(セックスの場合、スッキリ感というより満足感や達成感ですよね。)

 

逃避行=向き合う、変えるのはシンドいから逃げる=やりたいけどやれない現実は変わらない=(逃げてる分)より強化され難しくなる

 

 

例えとして微妙なのを承知で挙げますが、ジサツの構造も同じです。

苦しい現実からの逃避行の極地=ジサツ(自ら人生を終わらせる)

 

抽象度を上げて見ると同じです。

(そう考えると、ジサツで成仏できないという話が腑に落ちます。はじめてオナニーした後の罪悪感、後悔の念は男性ならあるあるネタだと思いますが、それと比べ物にならないほどの罪悪感、後悔の念があることを考えると、成仏出来るはずがありません。)

 

シコシコ中の意識が精神に悪影響をもたらす

シコシコ中の意識が闇を生むと書きましたが、その闇は精神に悪影響をもたらします。

オナニーによるスッキリ感は「その現実からの逃避行」で、言葉は悪いですが自傷行為のようなものです。

(ストレス発散の暴飲暴食や浪費も同じで、そうやってバランスを取ろうとしている。)

 

一時的な場合であれば回避行動と言えますが、それを繰り返してしまうことで心の闇(モヤモヤ感)は増大していきます。

 

心の闇が増大するほど、反比例して余裕が無くなっていきます。

余裕が無いので、ちょっとモヤモヤすると「その現実からの逃避行」をしてしまい、それに依存してしまうのです。

 

非モテは余裕が無い=モヤモヤ感が多い」

こう言い換えることができます。

 

モヤモヤ感が多いと、他人のセックスの話を聞いたときにモヤっとした気分になり、それがいつまでも引っかかってしまいます。(聞いた瞬間はスルーできたとしても)

そのモヤモヤを消したくてオナニーをするけど、実際は消えるどころか増大してしまいます。

 

集合的無意識(社会全体のモヤモヤ)の影響を受けてモヤモヤして、それを消そうとするけどかえって増大させてしまう。

という救いようがないようなラットレース状態になりがちです。

 

モヤモヤ感を無くしていく方法

余裕を生むためにはモヤモヤ感を無くしていく必要があります。

だからこそ、オナ禁が必要なんだ!と言われるんですよね。

(心が満たされるセックスをするのが理想的)

 

オナ禁を続けていくと抽象度を上げた考え方をしやすくなります。

視座を高めやすいんです。

 

欲求に抗っていくうちに、欲求に振り回されなくなるので、視座が上がります。

 

=モヤモヤ感が消えていくし、モヤモヤを受けにくくなる

(モヤモヤは低い次元の欲求なので、自分が高まればそこから離れられる)

=余裕が手に入るとも言えます。

 

 

オナ禁が人生を変えるその理由

気になる女性がいます。とてもカワイイ子です。

最初はあまり相手にされていなかった感じだったけど、思い切って飲みに誘ったらOKしてくれました。

 

ワクワクしながら当日を迎え、楽しく飲んで話して盛り上がって、

下心をなるべく消して勇気を出して自宅に誘ったけど断られてしまいました。

 

意気消沈ながらも「軽くない良い子なんだな」とプラスに捉えながら

「絶対セックスしたい!次こそは!」と思っている矢先、

心臓をわしづかみにされるような話を耳にします。

 

 

その子がイケメンヤリチンにサクッと食われた。

そしてその子がイケメンヤリチンに夢中になってしまっている。

 

こういったキツイ状況(NTR趣味の人は除く)で、どう捉えられるか?

「ヤリチンころしたい」

「あの女、ただのヤリマンじゃん」

と思いながらも、その女をおかずにしてオナニーするのか。

 

「ヤリチンの方があの子を満たしたってことか」

「悔しいけど、自分の魅力が足りなかっただけだ」

と思い、オナニーは意地でもせずに学びに変えるかで、

 

その後の人生は大きく違ってきます。

 

 

恨んで妬んでシコった場合、

「女を落とせずヤリチンに取られて恨み妬み、やけくそでオナニーに逃げてる非モテ

という猿フレームになります。

 

恨まず妬まず現実を受け止めて学びに変えた場合、

「(ほんとは苦しくても)慌てず騒がず、それどころか学びに変えちゃう強いやつ」

という漢フレームになります。

 

 

その運命を分ける要因のひとつとしてオナ禁は有効だとマジで思ってます。

オナ禁してないやつは前者になりやすく、オナ禁してるやつは後者になりやすい。)

 

もちろんその他の要素は必要だったりしますが、

不必要に心の闇(モヤモヤ感)を増大させないためにオナ禁をする

というのは、人生レベルでかなり有益だと言えます。

 

まとめ

ボッキと射精の間に潜む闇、つまり”なぜオナニーをしちゃっているのか?”と向き合うことでオナ禁の本当のメリットや効果がよく分かると思います。

 

オナ禁、エロ禁のみならず、つい満たしてしまいがちな低次欲求や刺激を減らすことでかなり生きやすくなると感じます。

 

ほどよく満たせる器用な人は問題ないですが、世の中の大半は「もっと欲しい!足りない!」となりやすいです。

 

減らして節制することで、足るを知ることが出来ます。

足るを知る者は富むという格言の通り、欲求に振り回されない状態は富だと言えます。

 

 

まとめると、、、

 

モヤモヤしたら、真のオナ禁オナ禁&エロ禁)しようぜ!!

 

って感じです!